こんな生活我慢できない!
自分ならこんな生活は絶対に嫌だと思うような状況で仕事をしている人がいます。
忙殺(ぼうさつ)
当人はと言えば、
とか
といった答えを返してはきます。
多少なりとも自分の生活のおかしさに自覚はあるようです。
- 朝から晩まで働き詰め
- 休日出勤は日常のこと
- 休日かと思いきや出社していたりもする
そんな生活を3年とか5年とか平気で続けているんですね。お蔭で肌は荒れに荒れ、随分と老けて見えます。
日々が目先のことをだけで一杯一杯になっているのです。一日中忙殺されて、帰ったら眠るだけ。休みも少ないし、休みはあったとしても、寝て過ごします。家族がいれば無理して家族サービス。
自分と向き合う時間
自分と向き合う暇(いとま)がないのです。現状を変えようと思えば、まずは自分と向き合わなければなりません。
現在自分が置かれた環境を一通り見直す必要があるでしょう。自分を俯瞰(ふかん)、鳥瞰(ちょうかん)の方が分かりやすいですか。鳥のように高いところから見下ろす感じで自分を含めた全体を見るのです。仕事環境、家庭環境などなど諸々全てを見直して、どんな選択肢が有り得るか考えるのです。
時を失すればハードランディングしかない!
何年もそういう時間が取れないのであれば、どこかで多少痛みを伴っても荒治療を行わなければならないでしょう。今のままでは駄目だという判断若しくは自覚があればですが。
この状況を喩えて見ましょう。
トロッコ
今、あなたはトロッコに乗って、走っています。
速度は一定で止まる気遣いはありません。
トロッコにブレーキは有りません。
しかし、どんどんどんどん加速して進んで行きます。
心配なのはレールの行く先です。
行き先が崖で、或るタイミングでトロッコが転落すると分かっているならば、いつかはトロッコから飛び降りなければなりません。
加速しているわけですから、飛び降りた時に少々怪我は覚悟しなければならないかもしれません。
それでも崖から転落して命を落とすよりはずっとマシです。
早くに決断できれば、怪我は小さくて済んだはずなのですが、躊躇っている(ためらっている)うちにトロッコは加速してしまいました。
もう、お分かりですね。
トロッコは会社です。
大きな問題があり、行く先は崖なのです。
それが分かっていながら、問題を先送りし、あと少しあと少しと時間が経っていきました。結果として、身動きが取れない状況になっています。
トロッコが止められない、会社を休めない、転職活動出来る状況でない以上は、どこかで飛び降りてしまうしかないわけです。
職務経歴にならないような単純労働の連続や非効率な方法を繰り返すことは、本当に恐ろしいことです。時間が経てば経つほど、同年代から差がついて行ってしまうのですから。
しかし時間経過とともに、飛び降りられる状況ではなくなってしまった。結局のところは自己裁量の問題です。
振り返って人生、これで良かったと思えるのならば、トロッコに乗り続けるも良しです。後悔すると思うならば、どこかでハードランディングするしかないでしょう。多少の怪我は致し方ありません。決断が遅いから悪いのです。
これを決断できるのはあなた以外にはいません。
それでも放って置けないのは・・・
日常の業務をこなすので一杯一杯、場合によっては疲労のために考えることを止めてしまっています。仮に考えたとしても、今の立ち位置から離れられないのです。
比較の対象があれば、多少は変わってくるでしょう。しかしながら、自分の生活を見直すには今の状況を俯瞰できる視点を持たなければ難しいです。
長い間、会社に支配され、視野が狭くなってしまい、今の会社ありき、今の職種ありき、今の職位ありき、の発想しか出来なくなってしまっているのです。
目先のことをただただひたすら黙々とこなしているのかもしれません。思考停止するほどに働かされ、休みもろくすっぽ取れない状況。会社には存外、好都合な状態だったりします。
なぜならば、思考が停止し、日々の業務に追われていますから、社会通念に照らしたり、労働基準法に照らしたりすることで、批判や抗議を受けることもなく、仕事をさせることができるからです。
更に、都合の良いことに、転職される気遣いもないわけです。
そんな状況は、会社に利用されているとしか思えないのです。
- 本人もそれが良いと思っていない
- でも状況は変えられない
- このまま一生終えるのか・・・
と他人事ながら心配になるわけです。
若者は聞きなさい!
ある程度経験も積んでいる分別のある年代ならば、自己責任の一言で放っておけば良いかもしれません。
でも何もわからず入ってきた新卒、第二新卒そしてそれに準ずるような若い中途世代にはあんまりだ!もっと他の可能性を見てもらいたいと思うのです。
今の時代、夢を持って入社・・・というのとは違うのかもしれません。
それでも灰色の社会生活を続けることには、やはり違和感を覚えるのです。
主体性を持たないと奴隷になってしまう!
年功序列の時代でもなければ、終身雇用の時代でもない。会社がうまく使ってくれる時代は終わりました。
ある程度、自分の頭で、会社をうまく使っていかなければ、利用されてしまいます。
心底、仕事に惚れて、会社に惚れて、打ち込めているのであれば、それはそれでいいのです。打ち込んでいる対象が、仮に間違っていたとしても、打ち込んだ経験は自分のものになります。でも心の中にあるのは不満、不満、不満。そして喪失感。わだかまりを持ちながら、惰性の日々を送っている・・・それが見ていられないのです。
時間の浪費を続け、それを習い性にする・・・それは悲しいことです。
完全燃焼とは言わないまでも、ある程度は燃焼できる仕事を探しましょう。
そして仕事のオン・オフをしっかりと作り、公私共に充実させましょう。
いわゆるリア充は他人事では決してないのです。
あなたも出来るはずですし、出来ないのはあなたの思考の問題です。